対話の不思議

 それぞれ確固たる結論があるわけではないのに互いの対話によって今まで思ってもいなかった素晴らしい発想が浮かんでくる経験をお持ちの方も多いのではないかと思います。 でもその瞬間のきっかけが何であったかを明確に覚えているケースは私の場合ほとんどありません。 それにしても、どんぴしゃりの解が得られたことに暫く時間をおいてから何時も不思議に感じていたものでした。 そして、あたかもそれが当然の帰結として得られる確固とした結論として、前もって自分のものとしていたかのような錯覚に陥っている自分を発見するのでした。

 どうやら我々の脳の中には自分では気付いてない別の隠し部屋があって、その中にすっきりと納得できる解が前もってこっそりと仕込まれていたんではないのか・・・と、又、様々な対話の過程で、自分には思いもよらなかった発想を受け止めた途端にその解がフイっと浮き上がってくるような特別な仕掛けが脳の中に存在するのではないか・・・などとさえ思えるのです。

 でもよく思い出してみると、実はそういう事象が起こるのは直接の対話の場合だけではないようです。 本を読んでいても、映画を見ていても、食事をしていても、ポケっと歩いているような何か自分が外界と無意識に接している時でさえ、フッと湧き出てくるもんです。 そしてこの湧き出てきた中身は前々から自分の中にきちんと収まっていたかのような、なにやら安心感や納得感さえも感ずるのです。

 どうやら我々の今なしている行動とは、本当は常に新たな「発想」や「こと」を自分の頭の中から見つけ出すために行っている作業であって、見かけの行動や目的とはほとんど異なる真実がその中に隠されているのかも知れないとまで思えるのです。