二人の偉大なピアニストのレクチャー

先にバレンボイムのマスタークラスのレクチャーをご紹介しましたが、今回は我が師から教えてもらったもう一つのレクチャーについて書いてみたいと思います。アンドラーシュ・シフが英国の Wigmore Hall で 2004 年から 2006 年にかけて行ったレクチャー・リサイタルです。ベートーヴェンの全32曲のピアノソナタについての内容が、このホールのホームページにオーディオファイルとして公開されています。こうした貴重な資料を惜しげもなく公開している施設があるというのも、英国の懐の深さでしょうか。おそらく多くのピアニストも、このレクチャーを聴きながら勉強しているのではないでしょうか。

ということで、私もこのレクチャー・リサイタルを少しずつ聴きはじめています。私は音楽を専門に学んだわけではありませんが、歳を重ねてから DAW での音作りの楽しさにはまってしまいました。そしてようやく、「作品を深く聴く」というさらなる楽しみに、ほんの少し触れることができるようになった気がしています。

さて、シフの語り口は不思議です。学者のように細かい分析をするのに、決して堅苦しくならない。まるで楽譜の向こう側から、そっと作曲家の声をすくい上げるような話し方をするのです。

一方、同じベートーヴェンでも、バレンボイムのマスタークラスはまったく違った世界です。鋭く音をつかまえ、「いま弾いたその一音」をどう変えるかという話が次々と飛んできます。その場で音が変わっていく様子を見ながら、なるほどなあと感心することしきりです。

二人の間には、作品と演奏という、当たり前のようでいて奥深い距離があるように思います。シフは作品の内側を照らし、バレンボイムは音を語る身体そのものを揺さぶる。音作りをしている私にとっては、どちらも必要な学びであり、どちらもまだまだ遠い世界の話です。

幸いにも、ピアニストでもある我が師が、私の打ち込みをいつも見てくれています。「この音はなぜここにあるのか」「このフレーズはどう動きたいのか」。そんな問いを投げかけてくれるたびに、まだ知らない景色がひとつずつ増えていきます。

専門家ではないからこそ、こうした音の旅は、のんびりと長く続けられるのかもしれません。今日もまた、シフの声を聴きながら、バレンボイムの指摘を思い返しつつ、ベートーヴェンの五線の奥にある静かな光を探しております。