閑話-2 ベートーベンのピアノソナタ

 28番当たりから最後期の32番まで自分なりに打ち込んだり、繰り返し聴いていると、それ以前の曲に比べて異なる魅力を感じます。 それ以前にも確かに素晴らしい曲がそろっており、才能の発露を感じることができます。 でも、どうも今の自分には、皆、なるほど感が先にたってしまうんです。 いわゆる月光とかワルトシュタインとか熱情とか後に付された看板とは関わりなく聴いていてもそういう気分になります。

 でも28番や後期の作品に触れていると、それとは全く違って随分と身の内に入り込んでくるすごさを感じます。 最後のピアのソナタ32番は多分亡くなる5年ほど前に仕上がっているはずで、それでも51歳チョットのところですね。 56歳という寿命は当時としては平均よりもちょっと長生きしていたことになりますね。 今の自分よりも相当若いわけですが、でも当時はだいぶ老人だったんでしょうね。 何やら「うん、自分の生き様はこんなもんだったんだろうな・・・」という気分で聴ける曲が後期のものには多いように思えます。

 その上、中後期の作品はもう耳が聞こえなくなり普段通りに自身でピアノを弾くことが出来なくなっているためか、演奏技術はさておいての思いがが突出しているようですね。 そのためかどうかわかりませんが、だいぶ難易度が高いようです。 ピアノを弾けない私はMIDI打ち込みで音作りをしてますのでそれは全く問題ではないんですが。

 何時だっか、どなたか(年配の女性、忘れました)のコンサートでベートーベンのピアノソナタが二曲演奏されました。 その一つは、30番だったか、31番だったか、32番だったか・・・「ようやくこの年になって弾こうと思いました」と演奏後、息を整えながらおっしゃっていたのが大変印象的でした。 そして、「納得」でした。