今回、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番第3楽章の冒頭に出てくる象徴的なノンビブラート部分を打ち込んでいて、どうしても気になることがありました。

この長い和音を保ったとき、実際の四重奏団のような自然な共鳴がなかなか得られず、かすかな「うなり」のようなものが残ってしまうんです。
何とかこの美しさを再現できないかと、CC11の描き方、ビブラート量、声部バランスなどを何度も調整し、できるだけ自然な響きを目指してきました。それでも我が師から、「かすかに聞こえるブルブルが気になる。何とかならないだろうか」と言われ、はたと困ってしまいました。
様々な名演奏を聴いていると、この部分をビブラートを極力抑え、非常に弱い音量のまま四人が長い和音を保ちつつ、その透明感と揺るぎない安定感を表現していることに圧倒されます。
このフレーズではピッチのわずかな違いもそのまま聞こえてしまいますし、各奏者の音量や音色の変化がばらばらでも、和音全体が揺れて聞こえてしまいます。演奏する側にとっても、非常に神経を使うところなのでしょう。
今回、MIDIの打ち込みに際し、これまでとは少し違う二つの処理を取り入れてみました。
打ち込みでは、各楽器のCC11のカーブがばらばらに動いていると、ノンビブラートの長い和音でも四声間のバランスが微妙に変化し続けます。そこで、絶対的な音量はそれぞれ違っていても、長音の膨らみ方や減衰の仕方をなるべく似た形にしてみました。意外にも、これも和音の揺らぎを落ち着かせるのにかなり有効でした。
ここでは、そのうち純正律に近い音程関係を取り込む方法について書いておこうと思います。
実際の弦楽四重奏では、奏者同士が互いの音を聴き合い、和音がよく響く位置へ音程を微調整することがよくあります。しかし音源による打ち込みでは、通常は音源に設定された音律の音程がそのまま鳴ることになります。
音源によっては平均律、純正律、ピタゴラス音律などを選べるものもありますが、固定された音律では、転調や和声の変化に対応しきれないことがあります。その場ごとにピッチベンドなどで調整する方法もありますが、弦楽四重奏の四声すべてを処理するとなると、かなり面倒です。
そこで今回、Cubase Proに以前から搭載されていた Hermode Tuning を、初めて本格的に試してみることにしました。
すると、その効果はなかなかのものでした。
試聴した師からは、冗談交じりに「前のは日本の田舎のアマチュア弦楽四重奏。今度のは最盛期のウィーンのコンツェルトハウス四重奏団くらい違う」という感想までいただきました。
もちろん大げさな比喩ではありますが、それほど四声のまとまり方、そして和音全体の印象が変わったということなのでしょう。
Cubase ProのHermode Tuningとは
Hermode Tuningは、演奏中に鳴っている音の関係を解析し、その場の和音がよりよく響くよう、個々の音程を動的に補正する仕組みです。
純正な整数比から少しずれている平均律での3度や5度などの音程関係を調整し、和音をより純正な響きに近づけてくれます。
各音名に一定の補正値を与える固定音律とは異なり、同じ音でも、そのときの和声の中での位置によって補正のされ方が変化するんですね。
以下に、Hermode Tuningの仕組みとCubaseでの設定をもう少し詳しくまとめておきます。
今回の実験
実験に用いたのは、現在打ち込んでいるベートーヴェン《弦楽四重奏曲第15番 イ短調 Op.132》第3楽章です。
各楽器のCC11による音量変化をできるだけ関連づけた上で、とくに冒頭部分を使って比較してみました。
この部分には、ノンビブラート主体、長い保持音、静かなコラール、四声の密接な和音という、Hermode Tuningの効果を耳で確かめるには好都合な条件がそろっています。
Cubase Proでの設定
「プロジェクト」→「プロジェクト設定」にHermode Tuningの項目があります。
Mode: Classic(pure 3/5 equalized)
Depth: 100%
100%というのはかなり思い切った設定ですが、この部分では不自然な音程変化よりも、和音のまとまりの良さの方がはるかに強く感じられました。
Depth: 0%
音源: SCES
Depth: 100%
音源: SCES
※1 同じMIDIデータから、Hermode TuningのDepthのみを変更して書き出しています。
※2 SCES: Solo, Chamber & Ensemble Strings (Samplemodeling)
最初に感じたこと
まず耳で感じたのは、それまで気になっていた和音のうなりがかなり少なくなったことでした。
音色そのものが別のものになったというより、それまで互いにわずかにぶつかっていた四つの音が、自然に寄り添って一つの和音になるような印象です。今まで苦労していたノンビブラートの響きが、かなり落ち着きました。
また、内声である第2ヴァイオリンやヴィオラも、音量を上げたわけではないのに、和音の中で自然に存在するように感じられました。
参考:Hermode Tuningの仕組み
Hermode Tuningは、電子楽器やソフト音源の固定された音律を、演奏中の和声に応じて動的に調整するシステムです。このシステムを開発したのは、ドイツ人のWerner Mohrlokだそうです。(以下の参考資料参照)
1.固定された純正律とは違う
純正律の設定を音源全体に固定してしまうと、一つの調や和音では美しく響いても、転調や和声進行によって別の音程関係に問題が生じることがあります。
Hermode Tuningは、演奏中に鳴っている音の関係を継続的に解析し、和声の変化に応じて補正量を変化させます。そのため、固定されたマイクロチューニングよりも、転調や和声進行を含む音楽に対応しやすい仕組みになっています。
2.「pure 3/5」の意味
Cubaseのモード名にある「3/5」は、3度と5度の音程関係を指します。
例えばC・E・Gの和音なら、C-Eの3度、C-Gの5度などが、より純正な音程関係になるよう調整されます。
今回使用した Classic(pure 3/5 equalized)は、3度と5度をできるだけ純正な音程関係に近づけながら、和音全体のピッチが一方向へずれていかないよう調整する方式です。
3.プロジェクト設定に加えて必要な設定

プロジェクト側でHermode TuningのモードとDepthを設定した上で、対象となるインストゥルメントトラック側でもHermode Tuningを有効にする必要があります。
Cubase Pro 11では、各トラックのInspectorにある「MIDI モディファイアー」→「Hermode チューニング」を開き、「チューニングを適用」と「分析に使用」にチェックを入れます。
「分析に使用」を有効にしたトラックのノート情報が、現在鳴っている和音を判断するために使われ、「チューニングを適用」を有効にしたトラックに、計算された音程補正が適用されます。
今回の弦楽四重奏では、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの各トラックについて、両方を有効にしました。
なお、Hermode Tuningによる動的な音程補正には、使用するソフト音源側の対応も必要です。VST3音源の場合は、Micro TuningおよびNote Expressionに対応した音源で利用できます。
4.一音一音を個別に補正する
Hermode Tuningは、和音全体を一括して高くしたり低くしたりする機能ではありません。その瞬間に鳴っている複数の音の関係をもとに、それぞれに必要なピッチ補正を行います。
したがって、同じEでも、前後の和声や同時に鳴っている音が変われば、同じ補正量になるとは限らないんです。
この点が、各音名に固定した補正値を与えるマイクロチューニングとは大きく異なるわけです。
固定された音律だけでは得にくかった純正な音程関係を、和声の変化する音楽の中で動的に取り入れられるということは、クラシック音楽のデジタル演奏において、アンサンブル表現の一部として使える可能性が十分にあると思いました。
参考資料
Hermode Tuning 公式サイト
Cubase Pro 15(11以降同じ) オペレーションマニュアル ― Hermode Tuning